ヨックモックミュージアム 開館記念第4弾
Picasso: Odes to Nature
ピカソ いのちの讃歌

展覧会名:ピカソ いのちの讃歌 / Picasso: Odes to Nature

会期  :2023年10月24日(火)〜2024年9月23日(月・祝)

監修  :岡村多佳夫(美術史家)
監修  :町田つかさ(和泉市久保惣記念美術館 学芸員)

主催  :ヨックモックミュージアム

休館日 :毎週月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館)、年末年始

開館時間:10:00-17:00(入館は開館の30分前まで)

後援  :港区教育委員会

特別協力:株式会社ヨックモック

 

概要

ヨックモックミュージアムのコレクションをさまざまな視点からご紹介する展覧会の第4弾として、「ピカソ いのちの讃歌」展を開催いたします。元東京造形大学教授でピカソやスペイン美術に関する多数の著書をお持ちの岡村多佳夫氏と、和泉市久保惣記念美術館の学芸員でピカソ研究の気鋭の若手研究者である町田つかさ氏のお二人を監修にお迎えし、ピカソのセラミック作品にあふれる「生命力」の根源となる、生きとし生けるものに対する深い愛情と共感を、さまざまなモティーフを手がかりに掘り下げる展覧会です。
ピカソがセラミック作品の制作を本格的に始めたのは第二次世界大戦後のことでした。生まれ故郷のスペイン・マラガと地中海を共有する南フランスに活動の本拠地を移し、その制作にも新たな展開が加わったのです。
このセラミック作品の特徴のひとつに、ピカソ自身を取り巻いていたさまざまな生きもの、いのちの形を取り上げている点があります。ピカソが生きた時代には、2度の世界大戦をはじめとする、さまざまな理不尽な理由が原因で多くのいのちが失われました。死を畏れる気持ちを強く持つようになったピカソにとって、第二次世界大戦の終結は大きな喜びであり、いのちの勝利でもあったのでしょう。
本展は、それぞれ「ピカソと闘牛」「ラ・パロマ —鳩への思い—」「フクロウ ー豊かな瞳ー」「手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—」「いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ」と題した全5章で構成されます。
いのちがきらめくさまを見つめ、いのちの向こう側に輝くものまでも陶土の上に表現しようとした、ピカソの思いをご覧ください。

 

構成:全5章(各章解説末尾に担当監修者)

1章 ピカソと闘牛

ピカソが9歳の頃に描いたマラガの闘牛場での素描が残っています。そこには牛の角で突き上げられた闘牛士がいます。その少し後で彼は油彩で≪ピカドール≫を描いています。
後に、彼は「ピカドール」になりたかったと語り、主役であるマタドール(闘牛士)ではなく、馬に乗り槍で牛を興奮させながら闘争心を高めながら闘争心を高め、同時に力をそいでいく重要な役目を持つピカドールへの憧れを表しています。そして闘牛は多く描かれるようになりました。(岡村)


パブロ・ピカソ《闘牛場》A.R.406 1958年
H.32 W.23 D.23


パブロ・ピカソ《闘牛の太陽》A.R.199 1953年9月25日
H.4.2 W.37.5 D.30.5


パブロ・ピカソ《ピカドール》A.R.289 1955年
H.6.6 W.12.5 D.12.5

 

2章 ラ・パロマ —鳩への思い—

ピカソはカンヌ近郊の家「ラ・カリフォルニー」のベランダに鳩小屋を造り、鳩を飼育していました。彼にとって鳩は父親が鳩を描く画家としても知られていたこともあり親しいものがありました。1901年には≪子供と鳩≫が、そして同主題でパリにナチスドイツ軍が侵攻した後にも描かれています。さらに1949年の「パリ平和会議」際に、彼の「鳩」のリトグラフが採用され、その2か月後にフランソワーズ・ジローとの間に女児が誕生しますが、その子にさまざまな思いをこめてパロマ(鳩)名付けました。 (岡村)

パブロ・ピカソ《鳩》unique 1954年6月7日
H.2 W.17.8 D.22

パブロ・ピカソ《鳥型の水差し》A.R. 186 1953年4月4日
H.20 W.29 D.11

 

3章 フクロウ —豊かな瞳—

1946年にグリマルディ城で傷ついたフクロウを保護したことを契機とし、以降のピカソの作品にはしばしばフクロウが登場するようになります。そのふっくらとしたフォルムや、ときにコミカルにも見える表情は、ピカソによるセラミック作品の造形にも大きなインスピレーションを与えました。ピカソのトレードマークでもある強い眼差しを思わせるつぶらで印象的な瞳と、どこか人間らしさを感じさせるユニークなその表情は、ピカソが彼らに抱いていた親愛の情を物語っています。 (町田)


パブロ・ピカソ《梟》A.R. 158 1952年
H.54 W.24 D.24

パブロ・ピカソ《森梟》A.R. 542 1968年
H.30 W.24 D.16

 

4章 手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—

南仏ヴァローリスでの暮らしは、ピカソがそれまで拠点としていたパリとは異なる色彩に満ち溢れていました。日々の暮らしとともにあり、頻繁に食卓にも上ったはずの魚やウニは、この土地で描かれるがゆえに、みずみずしい輝きを放っています。掌におさまるほどの器に描かれた名もなき鳥、バッタ、虫などのいきいきとした姿からは、小さないのちとそれらとともにある日常を愛し、慈しんだピカソの眼差しを感じることができるでしょう。 (町田)


パブロ・ピカソ《ウニ》A.R. 268 1955年3月31日
H.6.7 W.17.5 D.17.5


パブロ・ピカソ《枝にとまるバッタ》A.R. 258 1955年
H.6.3 W.18 D.18

 

5章 いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ

ピカソが1946年に描いた≪生きる喜び(アンティポリス)≫ はフランソワーズ・ジローが身籠ったときに描かれました。彼女の左右には笛を吹く牧神とケンタウロスが彼女を祝福しています。65歳の彼がいかに喜びに満ちていたかが分かるでしょう。しばらくして彼はセラミック制作に没頭していきます。その工房にジャクリーヌがやって来ました。彼女はスペイン語を話し、ピカソとは夏にペルピニャンの闘牛場で会っていて、母国語で気安く話しができました。しかし彼女が工房に来た翌月、フランソワーズ・ジローは子供たちを連れて出て行きました。 (岡村)


パブロ・ピカソ《グリッドのある顔》A.R. 352 1956年
H.4.6 W.43 D.42.5


パブロ・ピカソ《黒い顔》 (「黒い顔」食器皿セット L) A.R. 47 1948年
H.2.5 Diam.24


パブロ・ピカソ《イーゼルの前のジャクリーヌ》A.R. 333 1956年
H.4 W.42.7 D.42.5

 

監修者

岡村多佳夫 Takao OKAMURA

早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期修了退学。東京造形大学教授、東京造形大学附属美術館の初代館長などを歴任し、現在はフリーランスの美術史家、美術評論家として活躍。国際美術評論家連盟会員。専門はスペイン美術史および20世紀ヨーロッパ美術。『ピカソの陶芸』(パイ・インターナショナル、2014年)などの多くの著書のほか、『ダリ』(ロバート・ラドフォード著、岩波書店、2002年)などの翻訳書、企画展『彫刻の森美術館コレクション ピカソ』(彫刻の森美術館、2003年)などの展覧会監修を数多く手がける。また若手芸術家支援に尽力し、1996年より「岡村多佳夫企画展」を主催。

町田つかさ Tsukasa MACHIDA

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。早稲田大学會津八一記念博物館助手(学芸員)を経て、2013年より現職。専門はパブロ・ピカソ、特に第二次世界大戦以降の制作とその受容について。担当展覧会に、「ピカソと日本美術−線描の魅力−」(和泉市久保惣記念美術館、2017年)、論文に「ピカソ・日本・バルセロナ」『ピカソと人類の美術』(三元社、2020年)、「語るピカソ、語られるピカソ」(『作家ピカソ』展カタログ、Instituto Cervantes Tokio、2020年)など。第21回鹿島美術財団賞受賞(2014年)。

 

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